smkw's diary - 名称未設定 のコピー 2

日記などその他雑感、眠れない夜の衝動的な書き物。

日記: 181231-19014_年始につき緊張感なし

年始は実家に帰った。

実家は死ぬほど暗い顔をしてずっとゲームをしてるしか喜びがなさそうな兄、人の話をやっぱりあまり聞いてくれず思いこみで言葉を発する両親、私の休職について何も知らない祖父母などがいて、どこにいても空気がやけに重かった。猫とか犬とか飼うことを勧めてみる。実家にいるときは安息を感じない。人間以外の彼らがその空気を和らげてくれるのに期待する。

祖父母が私の休職を知らなかったのは、田舎独特の空気の読み合いが、おそらく私のいないうちにあったのだろうと早合点して、仕事をしているふりをして色々話した。嘘ついてごめんねばーちゃんじーちゃん。というのも、私が北関東から石川にある大学に進学を決めた時「どうして北陸なのか、東京か横浜がよかった、嫁の育て方がおかしかったからだ」という謎の理論をめぐって、かつて嫁と姑が激突した経緯(それまでずっと冷戦状態ではあったのだが…)があったのだった。東京か横浜がよかったってなんだ? ばあちゃんにとって俺ってなんだ? ということを当時は複雑に考えてしまって、とにかく早く石川まで逃げよう、関東平野の内側はこんなクソ価値観の吹き溜まりになってるから、長野-群馬の山脈を超えて遠くまで逃げよう。そんな風に逃げてからもう5年くらい経ったというわけだ。人をいきなり関東平野から能登半島までポーンと吹き飛ばすエネルギーって何よ? あるいは、わずかなエネルギーでそんなところまで吹っ飛んでいくのが19歳の若さだった、ということだろうか。ともかく今回の休職も「嫁の育て方」のせいにされてはたまらないと思って、然るべきところで然るべき嘘をついた。

 

初詣でお守りを買った。転職するし商売繁盛かな……と思ったが、仕事をし始めてまた心身を崩したら元も子もないなと考えて、あえて無病息災にしたら次の日あっさり風邪をひいた。東京に戻る時に公共交通機関で人ゴミに紛れたからだろうか。東京の家に帰ってすぐ、古くなった牛乳を飲んで、吐いて、胃酸で喉を痛めたところから始まった。

熱こそは出ていないが、鼻と喉がやられて無限に鼻水が出る。タンが絡んでしまって咳が止まらない。鼻づまりで頭が痛くてぼーっとする。ついでに耳の奥もなんか痛い。そんな調子で年明けからあっという間に2週間経った。転職エージェントとの面会も延期になってしまった。プログラミングの勉強もぷつんと途絶えた。大きな時間のロスだ。別にあせる必要もないし、年始だし、まぁいいか、なんて考えにシフトして、今はダラダラしている(今朝になってようやく鼻水が止まった)。

なんだかんだ休職してからのこの3ヶ月は恐慌状態の中で勉強をしていたから、ようやく休職らしい休職、ナマケモノらしいナマケができた気もする。なるべくポジティブに捉えよう。

 

プログラミングの勉強は頭痛を言いわけにしてやらなかったけど、文章を書いてると落ち着くので小説はチマチマ書いていた。

4月の文フリ金沢で新刊を出す流れになったから、その流れにうまく乗りたい。

 

気づくと自分はもうあまりAfterEffectsだとか、Photoshopだとか、そういうソフトをしばらく起ち上げていない。“こういうのじゃない仕事をしよう”と決めてから、それらの現実感がどんどん希薄になってきている。それまではAfterEffectsを触らないとダメだと、ずいぶん前のめりになっていた。映像の趣味/仕事と冷静に距離を取れるようになった、ということだろうか。

今はその分、小説の方にエネルギーを集中できているが、やっぱり寂しさはあるよね。いつかまた動画を作りたいという気持ちもあるので、日常の裏で時々考えたりしている。これはかなり健全な状態なので、そんな調子を続けたい。あとは仕事さえあれば。。。