smkw's diary - 名称未設定 のコピー 2

日記などその他雑感、眠れない夜の衝動的な書き物。

日記: 181231-19014_年始につき緊張感なし

年始は実家に帰った。

実家は死ぬほど暗い顔をしてずっとゲームをしてるしか喜びがなさそうな兄、人の話をやっぱりあまり聞いてくれず思いこみで言葉を発する両親、私の休職について何も知らない祖父母などがいて、どこにいても空気がやけに重かった。猫とか犬とか飼うことを勧めてみる。実家にいるときは安息を感じない。人間以外の彼らがその空気を和らげてくれるのに期待する。

祖父母が私の休職を知らなかったのは、田舎独特の空気の読み合いが、おそらく私のいないうちにあったのだろうと早合点して、仕事をしているふりをして色々話した。嘘ついてごめんねばーちゃんじーちゃん。というのも、私が北関東から石川にある大学に進学を決めた時「どうして北陸なのか、東京か横浜がよかった、嫁の育て方がおかしかったからだ」という謎の理論をめぐって、かつて嫁と姑が激突した経緯(それまでずっと冷戦状態ではあったのだが…)があったのだった。東京か横浜がよかったってなんだ? ばあちゃんにとって俺ってなんだ? ということを当時は複雑に考えてしまって、とにかく早く石川まで逃げよう、関東平野の内側はこんなクソ価値観の吹き溜まりになってるから、長野-群馬の山脈を超えて遠くまで逃げよう。そんな風に逃げてからもう5年くらい経ったというわけだ。人をいきなり関東平野から能登半島までポーンと吹き飛ばすエネルギーって何よ? あるいは、わずかなエネルギーでそんなところまで吹っ飛んでいくのが19歳の若さだった、ということだろうか。ともかく今回の休職も「嫁の育て方」のせいにされてはたまらないと思って、然るべきところで然るべき嘘をついた。

 

初詣でお守りを買った。転職するし商売繁盛かな……と思ったが、仕事をし始めてまた心身を崩したら元も子もないなと考えて、あえて無病息災にしたら次の日あっさり風邪をひいた。東京に戻る時に公共交通機関で人ゴミに紛れたからだろうか。東京の家に帰ってすぐ、古くなった牛乳を飲んで、吐いて、胃酸で喉を痛めたところから始まった。

熱こそは出ていないが、鼻と喉がやられて無限に鼻水が出る。タンが絡んでしまって咳が止まらない。鼻づまりで頭が痛くてぼーっとする。ついでに耳の奥もなんか痛い。そんな調子で年明けからあっという間に2週間経った。転職エージェントとの面会も延期になってしまった。プログラミングの勉強もぷつんと途絶えた。大きな時間のロスだ。別にあせる必要もないし、年始だし、まぁいいか、なんて考えにシフトして、今はダラダラしている(今朝になってようやく鼻水が止まった)。

なんだかんだ休職してからのこの3ヶ月は恐慌状態の中で勉強をしていたから、ようやく休職らしい休職、ナマケモノらしいナマケができた気もする。なるべくポジティブに捉えよう。

 

プログラミングの勉強は頭痛を言いわけにしてやらなかったけど、文章を書いてると落ち着くので小説はチマチマ書いていた。

4月の文フリ金沢で新刊を出す流れになったから、その流れにうまく乗りたい。

 

気づくと自分はもうあまりAfterEffectsだとか、Photoshopだとか、そういうソフトをしばらく起ち上げていない。“こういうのじゃない仕事をしよう”と決めてから、それらの現実感がどんどん希薄になってきている。それまではAfterEffectsを触らないとダメだと、ずいぶん前のめりになっていた。映像の趣味/仕事と冷静に距離を取れるようになった、ということだろうか。

今はその分、小説の方にエネルギーを集中できているが、やっぱり寂しさはあるよね。いつかまた動画を作りたいという気持ちもあるので、日常の裏で時々考えたりしている。これはかなり健全な状態なので、そんな調子を続けたい。あとは仕事さえあれば。。。

雑感: SAO、実はSFとして面白いのではないか説

オタクくんはSAO見てますか。

前提としての中級オタク

わたしは基本的に俺TUEEEな展開を小馬鹿にしているので、「俺は本気でSAOが好きだ」という方には本当に申し訳ないですが、SAOが「意外に」面白い、という言い方をします。

アニメを見ているか。そう職場や学校で聞かれたことはあるでしょうか。そこであなたは「ワンピース大好きですよ!」と無垢な返事をするようなライトな層のオタクさん*1でしょうか。あるいは「時々…見ます」等といった、どこか後ろめたい思いをしながら本音を隠した経験があるオタクくんでしょうか。わたしは後者です。今どきアニメ視聴を隠す必要もないのでは?と思えるご時世ですが、恥ずかしいものは恥ずかしいものです。

オタクにとって一般教養的なアニメは一通りと言っていいほど見てはいるけど、設定資料を集めて本気の考察をしたり、完璧に萌え豚と化して缶バッチを集めたりした記憶はない──が、一応その辺のカスよりアニメを理解しているつもりなので、社会的には恥ずかしいと思いつつもライトな層とは一線を引き、自分はディープな層に寄っていると密かに考えている。という、本物のカス。これぐらいのオタクをわたしは中級オタクと勝手に呼んでいます。一般教養的なアニメ? なんですかそれは。そんなものはありません。

そんな中級オタクにとって、もはやメジャータイトルのようにメディア露出が盛んになったSAOは盲点になっているのではないでしょうか。

なぜなら中級オタクの基本スタンスは逆張りだからです。

あなたはSAOを見ていないのではありませんか?

もしやあなたの周りでは「今期なんのアニメ見てる?」と聞かれた時「SAOを見ている」と言うと、「えw マジ?」などと半笑いで返される空気さえあるのではないでしょうか*2

でもそれはSAOを見くびっていることに他ならないし、あなたも含め、あなたの周囲の人間が例外なく中級であることの何よりの証拠です。

 

今SAOで何をやっているのかというと

わりとハードなSFがぶっこまれている。ハードSFとは何ぞやという話は細かく触れたくないけど、SAOの世界ではつまり以下のような技術開発が進んでいる。

 

魂を丸ごと仮想世界にダイブさせることで、今までにない没入感を得られる新技術が考案されている。これを利用し、生まれたばかりの赤ちゃんの魂を丸ごとコピーし、仮想世界の中で育成ゲームのように人工知能として育てている。仮想世界の時間は何倍にも加速されている。だから恐ろしい速さでコミュニティが形成される。これを観察し、今までにない「柔軟な思考」を持つ人工知能の発生を待っている……。

 

「魂をコピーする」ってなんだよ。

 

ここで言われている「柔軟な思考」というのは「人間が規則に対してもつ柔軟性」のようなものを言う。すなわち、自分で不要だと思った規則を破棄し、自らの考えで行動しようとする、ある種いい加減な部分のこと。

ロボットにはロボット三原則というものがある。ロボットは人間を殺すことができないのが決まりになっている。しかし「柔軟な思考」を手に入れたロボットはどうだろうか。人間は人間を殺すことができる。ロボットもロボット三原則を超えて人間を殺せるようになるかもしれない。そしてこれが兵器転用できれば新しいビジネスになるかもしれない。人間のように柔軟な思考を持った人工知能を知育しよう──。

こういったストーリーを持つ技術開発が物語全体の背景として存在している。

 

個人的には赤ちゃんの要素をコピーして人工知能にしようって発想がちょっとサイコ入ってて好きです。*3

 

新技術と今期の話

新技術による仮想世界ダイブと、既存の仮想世界ダイブはどう違うというのか。

──没入感が段違いとのこと。

いわく、仮想世界にいるという認識自体がなくなってしまうそう。没入者は自分が元からその世界の住人だと例外なく思い込んでしまう。外の世界があるとはまったく疑わない。考えることさえしない。それは夢の中にいるのと似たような感覚になるという。

 

ところで、今期のSAOのお話はキリト君が暴漢に襲われ、意識不明の重体になり、植物状態になってしまうところから始まる*4。そもそもキリト君はこの新技術の治験のバイトに参加しており、その縁から上述したような世界の大掛かりなストーリーに巻き込まれることになる。キリト君の治療チーム(というか新人工知能開発チーム)の目的は、植物状態にあるキリト君を仮想世界に繋げることで、キリト君の魂を内から刺激し、神経網の回復を促すこと。そして、規則正しく回り続ける人工知能の社会にリアルな人間を投入することで、何らか動乱を期待すること(どちらかといえばこっちが主目的で、キリト君は体のいいモルモットだ)。

 

キリト君が投入された世界──人工知能の培養地になっている世界は、いつも通り剣と魔法の世界になっている。ただ、この世界では魔法を「システムコールhogehoge(関数名)」と詠唱したりする。この世界の住人は関数の呼び出しを魔法と思い込んでおり、システム開発者やインターフェースにあたるプログラムを自分たちの始祖として崇めている。ここがポイント。

彼らは宗教的であり、きわめて規則に従順で、勤勉に生きている。誰も法を犯すことがない。倫理観の欠けたキャラクターも登場するにはするが、彼らも彼らなりの「法」を遵守した上で己の欲求を満たそうとする。例えば、ある悪徳貴族のプログラムは悪法を守ることで初めて悪事を働くことができるように作られている。

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ソードアート・オンライン アリシゼーション 10話

画像は貴族キャラクター(上)が平民キャラクター(下)を強姦するシーンの一部。この世界では貴族による平民への命令は絶対で、その絶対性はプログラムの仕様として決まっている。だから貴族が平民を襲うことは世界基準で合法で、逆に平民が貴族に逆らうのは世界基準で違法。プログラムであるキャラクターたちは例外なく違法な行動を取れない。そんな行動はプログラムされていない。体が強制的に動かなくなる。だから彼女たちは抵抗することもできず、犯されるままになる。でもそれは世界基準で見れば何の問題もないこととして成立している。だってそういうプログラムだから。

良いも悪いも全て論理の上に乗っかっている。逆ではない。

 

こうした世界を旅しながらキリト君は周囲の人工知能たちを少しずつ変えていく。リアルな人間はプログラムと違い、必ずしも規則に縛られるとは限らない。彼の周囲には少しずつ規則に逸脱した行動を取る人工知能が増え始め、それは新人工知能開発チームの思惑通りの展開なのだった……。

 

というのが今期のお話。「魂」云々を置いとけば、わりと強固なストーリーになっているような気もする。飛浩隆の『グラン・ヴァカンス: 廃園の天使』感がある。起こる事象はいつものSAOなのだが……。

 

もしかして意外に SFでは?

ある一つの技術を軸にして物語が進行していることが、SFとして非常に優秀ではないかと思っています。

ある特異な技術があれば、それによって個人や社会がどう変化するかが予想できる。あるいは、特異な個人や社会が存在すると、そこからどのような技術が要請されるかが予想できる。技術ー個人ー社会連関をシミュレーションをすることはSFの一つの役割と言っていいのではないでしょうか。あまり大きな主語は使いたくないですが、日頃からそんな風に思っています。*5

 

SAOについて言うと、2期の最後の方でも以下のようなストーリーがあり(ネタバレですけど)、「意外に」いい線行ってると思う。。。

 

フルダイブ技術を終末医療の緩和ケアに利用してみた。すると、常時プレイしっぱなしのアカウントができた。彼らの身体感覚は仮想世界に最適化され、最強のゲーマーとして仮想世界で噂になる。しかし、そうした人間は一人ではなかった。同じ境遇のもの同士が仮想世界上に集まり、一種のコミュニティを形成していたのだ。彼らは他のゲーマーよりも現実世界で互いに結びつくことが極端に難しく、それゆえに関係性は特殊で、団結は固く、共通の目的に向かって動いている。アスナさんがそのムーブに巻き込まれることで物語は始まる。

 

SAOのストーリーは、仮想世界へのフルダイブ技術という軸に様々な要素を足し合わせることで成立しているように見えます。そして、SAOのようにシリーズが続く作品の場合は、シリーズの続投と共に、当然その世界のシミュレーションも更新されることになります。

ある新しい技術が開発される。それによって個人や社会のあり方が変化する。そこからまた新しい技術が要請される。また個人と社会のあり方が変わる。この循環がTVアニメ第一期、第二期、第三期…と積み重なってゆくことで、作品世界で一貫した産業史や自然史が作られる。これがわたしの思うSFっぽさの一つであるし、SAOには「意外にも」そういう側面を持っているわけです。

 

つまるところ

中級オタクがSAOに興味を持ってもらえたなら嬉しいです。でも単純にストーリーが面白い/面白くないというのもあると思うので、ちゃんとお勧めはしないです。上記した2期の最後の方だって、うわっ面のストーリーはアスナさんTUEEEという感じで結構苦痛でしたので。

でもやっぱり「案外」面白くていいですよ。わたしはNTRと負けヒロインが好きです。SAOにはNTRと負けヒロインがたくさん出てきます。そういう意味でもいいですよ。

*1:オタクでは無いのかもしれない。

*2:実際あった。単芝やめろ。

*3:「魂」という言葉は、作中では「フラクタライト」という言葉で置き換えられているから、ロジカリストにも多少受け入れやすいようにはなっていると思う、たぶん。そのフラクタライトという言葉の説明に魂という言葉が使われているのはマジだが。

*4:本当はもうちょっと段階を踏む。

*5:「技術ー僕ーセカイ」と言うのもあると思う。

日記: 181219-181230_コミケなど

なまけている。

来月から就活を始めようというつもりなのだが、年末ということもあり、githubに試しに作ったサイトを上げたところで怠けきってしまった。

数えるほどしかプログラムを書いていない。

そもそも未経験という枠で入っていくわけだから、これでもそんなに問題ではない。と思うので別にいいのだけど、とりあえず来月頭に転職エージェントに会う心づもりでいたい。

 

資金繰りについて。賞与が出たので延命できている。傷病手当金も出始めた。1回出ればあとはスムーズに運ぶようなので、一段落といったところか。

 

次の職はエンジニア界隈で探すのか、あるいは全然ちがう仕事をしてみるのか、今さらなんとなく迷ってみるが、これもエージェントに会って求人を見てから考える。リクルートとは別に登録しているIT系の求人サイトでも良さそうなのがぼちぼちあるが、それの検討もエージェントとの相談後にまわす。焦らず一歩一歩決めていくべき。

ひとまず自分でやらないといけないのは、履歴書の写真を撮ったり、スーツのクリーニングだったりと、物理的な作業くらいか。

 

文文文庫としてコミケに出る(初)。鳥さんも空木さんもベトナムまで知人の結婚式に出てしまって、不安だったが何ごともなく終わる。そこそこ売れるが、新刊の売上が悪すぎてシャレにならない。デザインの失敗を感じる(淫夢はダメやろ)。予想していたことの一つが的中してしまった。やはり直すべきだった……。

全体としては意外に売れてよかったなという感じ。ストロングゼロで足を止める人が多くて、話題性のあることに乗っかること、表紙をパッと見て内容を察せられることが大事だと知る。イラストを書けるようになりたい。小さいあらすじもあるといいらしい。

よくよく考えたら表紙デザイン→執筆という工程がおかしい。原稿をもらってから内容を抽出して、表紙デザインに反映する工程に変えていきたい。装丁を後工程に回すのは今のスケジューリングだとやばいのでは?と思うが、やれないこともないだろう(たぶん)

 

百合本がそこそこ売れたのが嬉しい。買ってくれてありがたい。ただ正直なところ、今はコネで売れている部分があるので(本当にありがたいことだけど…)、この先に不安がある。次々回の大阪は初めての地だから大丈夫かもしれないけど、次回の金沢は苦戦するのでは?そして大阪の次の回(たぶん東京)はもっと苦戦するのでは?

口コミがほしい〜〜〜と思うことしきりだが、twitterとかあんまり反応ないし、どうしたもんかと。

どこかのコンテストで賞を取ったりするとガツンと知名度が上がっていい感じになるのでは(当然)。と思うのでなんか挑戦して結果を残してみたい。その結果が文文文庫の売上に繋がると、きっといいサイクルができる。

 

とりあえず真剣に打ち込めることについて、共同制作者がいて、サークルとして“場”がある、そういう恵まれた環境にいてモチベーションが高く保てているうちに趣味を加速させたい。

 

 

日記: 20181211-1218_創作活動の向きについて

就活用のwebアプリケーション制作が進む。順調かどうかは少し微妙だが、進んでいるといえば進んでいる。応募先にどういうふうに共有すべきが迷う。githubがいいのだろうが、使い方を覚えるのが大変かもしれない。誰かに予め見てもらうことも考えなきゃいけない。

 

もうすぐ12月が終わる。1月になったら本格的に就活をするつもりなのだが、若干締切がきついように感じている。潮目が近づいてきて不安定になってしまう。とにかく手を動かして物事を前に進め、不安を払拭することが大事。不安に潰れたら俺は何もできない。

 

創作関連のことについて。コミケに向けて作品をサークルに提出。字数のことや締切のことで穏やかならぬ雰囲気がある。いずれにせよ自分の作品のボリュームを絞って、他の人の作品が上がってくるのを待つしかない。

 

自分が衝動的に書いたもの、書いていて気持ちがいいものをダラダラ書いた方がいいのか、テーマに則して理論的に内容を詰めたストイックなものを書いた方がいいのか、というずっと考えている問題について。

 前者は書きながら「俺のこと分かってくれ」と自分語りしてるような気持ち悪さ。ネタが思いつかないとつい書いてしまうけど、本当は書きたくない。でも出来上がったものを見ると、それは完全に自分用にデザインされているので気持ちよくなれる。しかし他人の批評に耐えられるものではない気がしている。今回はどうしようもなく、この方向で書いてしまった。読んだ人間にもそれが伝わってしまうと思う。あまりに自意識が強すぎる。というわけで、あまり読まれたくない。でもこういうものを書いた方が喜ぶ人間が一定数いることを、自分は知っている。それが同人誌、という見方もある。

 後者は全然やったこともない。なので、できる感じがしない。自分の中にそういう方法論がまだない。きっと身につけることはできる。だからやった方がいいのだろう。一次創作をやる人間は皆そういうところに向き合っているのだから。プロットを書いてみる、キャラクター造形をノートしてみる、ということからやった方がいい。自分には基礎がない。長編を書くときにこの基礎が身についてないと厳しい気がする。それに自分語りでは満足できないものをちゃんと得られるように思う。自己実現欲求的、という難しいやつだ。でもそうやって作ったものに自分のエゴを押し込むことができるのか分からない。やけに薄っぺらい話になったりしないだろうか。

 結果的にどうするべきなのか。ということをここ二、三週間、あまりにBLが書けないのでずっと考えていた。

 「こういうあるあるいいよね」を相手に提案したり、共有したりするものを書くべきなんだろう。そうすることで二つの方向性のバランスが取れると思う。自分中心か、相手中心か、という考え方ではなく、自分も相手も喜ぶもの。コミュニケーションがあるもの。そういうものが同人の土壌で求められているし、書いていて楽しいと思う。自分がどういう風にそのテーマを好きになったのかを追跡して、相手に同じ体験を与えられることがベストアンサーではないか。

 ということで次回からやっていきたい。

 具体的には、

 

(1)テーマから思い浮かぶ作品を書き出す。

(2)パクる。

 

という方法で実現できるはず。

パクったあと自分流にアレンジしたり、議論を前進させたり、ミックスさせたりできれば御の字だと思う。「パクる」と言うとアレだが、先行研究を参考にして新規性を求めるという、学問的な営みだと認識してやっていきたい。まねぶ、というやつ。

 結局自分は大学に入ってからようやく人格ができたきらいがあるから、その一番理解できる方法論に立ち返るしかない、ということなのかもしれない。

 

 

 

 

日記: 20181122-1210_下田にて

下田から熱海に向かう鈍行の中でこれを書いている。

今朝は2時ごろに目が覚めてもう一度眠ることができず、映画(マジックマイク)を1本見たあと衝動的に始発に乗って南を目指していた。とにかく現実から逃げたかった。

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マジックマイクは、オリジナルの家具づくりで生計を立てることを夢見る30代の“ベテラン”男性ストリッパーがストリップ劇場の新人の世話を焼いてるうちに、副業でコツコツ貯めた事業資金をその新人のドラッグ紛失事件の穴埋めに使ってしまいました、という話だった。最終的にマイクは劇場を辞めて、その新人の姉(とても一般的な絵に描いたような真面目な女性)と結ばれて日陰の世界から出るのだが、その資金繰りや将来性に関することではまったく救済がなく、“これからのことは全く考えてない退職”という、ん?俺か?というオチだった。

 

映画の世界はそれで終わるので、それでいいのかもしれないが、現実の生活はちがう。

 

傷病手当金の申請を出して1ヶ月が立った。まだ審査期間なので収入がない。あまり人ごとに思えず、とてつもない不安に潰されそうになっている。金がないし、アルバイトをすることもできないし、転職が楽にできるほどのスペックがあるわけでもない。にも関わらず、平日の朝からわりと高い交通費を払ってこんなところまで来てしまう。こんな皆が働いてる時間なのに地方をプラプラしている。俺は何もできないクズ人間なのだ、死んだ方がいいという観念が下田の街を歩いている間ずっと付きまとって、写真を撮りに赤根島の山の中を歩いている時も死に場所を探してるような感覚になってきたのですぐに引き上げた。

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金が無い、仕事が無い、ということでここまで精神的に荒むとは休職するまで思わなかった。はっきり言って死にたい。

 

親からはため息をつかれている。来年度に定年退職する予定がある人間にため息混じりに「仕事探しもうするんだろう?」と言われると「ハイ」以外の返事ができなかったのだが、ポートフォリオらしいポートフォリオがまだ何もないだけあって、とにかく焦る。年末に転職活動を始める人がどれくらいいるのかは知らないが、きっと多くない気がする。体感、まともに転職活動が始められるとしたら20日以降になりそうなのだが、いやどうしたものか。その時期に面接をする人間がいるのかという……。(別にポートフォリオが無くても転職活動はできるのだが)

 

とにかく手を動かして物事を前に進めるしかない。

 

前回の日記の更新からだいぶ時間が開いたのは文フリ(11/25)なんかがあったりして、その分PHPのテキストに集中していたため。文フリが終わったあたりからほとんど引きこもりになって、ずっとPHPのテキストを進めていた。その間はtwitterの人間と焚火をしたり、NONA REEVESのライブに誘われて行ったりした以外、外出していなかった。買い出しすら行かずに大量に買いだめしたパスタを延々と食べ、寝て、コードを書いて、息抜きにアニメ、パスタ、寝る、みたいな生活だった。寝る時間が不規則になって、矢のように時間が過ぎていき、日記を書くということはまず完璧に忘れていた。そのかいあって、テキスト自体は終わって、あとは物を作るだけという段階に来たのだが、この自分が作れるもので果たして通用するのだろうか等、不安が尽きない。少し勉強すると、まだ勉強できてないところが一気に見えてきて、もっともっとやらなきゃ通用しないと。ネットの求人を眺めていて、3年間の実務経験が必須になっていたりすると、どうしよくもなく落ち込む。俺は本当に何もできない。

 

ノーナのライブに行った時に先輩から「仕事をしている間だと、日々をやり過ごすのが一生懸命で自分の将来について考えることはできないから(いろいろ考えているのは)いいと思う」ということを言ってもらえたのだが、そんな風にゆっくり腰を落ち着けているメンタルかというと、内心はそれどころじゃない。もっとワチャワチャしている。たしかに将来について考えたし、自分の中では大きな決別などもあったのだが、切迫感に押し潰されて眠りの世界に逃げてしまう、そういう日がずっと続いている。今日はどうしようもなくつらくなって、赤根島の何でもない道路の真ん中でうずくまりたくなって怖かった。こんな状態で働いたら、仕事に行けなくなった直後の、2,3日布団から起き上がれなかったあの状態がまた戻ってくるんじゃないかと、そうなったらまた仕事が無くなってしまうという、そんな不安が出てきた。

 

完全にダウンする前はこういう不安は全然なかった。自分が弱くなったような感じがする。メンタルクリニックに行くときにもそれと同じものを感じる。とてつもない弱小生物になってしまったと。一度メンタルを折ってしまうとまた折れやすくなる、ということだろうか。骨のように太くなればいいのに。

 

もっと穏やかに日々を過ごしたい。メンタルがアクロバティックに上下するのは疲れる。久しぶりの更新なので長くなってしまったが終わる。週一くらいで書いていきたい。

 

 

日記: 20181114-1121_腸炎

 

 

痔に続いて腸炎に掛かる。消化器に難が続く。メンタルクリニックに行っていることを含めて11月だけで4回も病院に行っている。熱でフラフラするので、PHPの勉強も途中でストップしてしまっている。

 

今はメンタルクリニックに行った帰りだが、熱がぶり返して来たみたいで全身が寒い。治りが遅い。まともな食事も取れておらず、スポドリと薬だけで身体を持たせている。

 

しんどい。文フリに出ることが難しいかもしれい。

 

筑波山に登ったり早朝にランニングをしたりしたことでかえってダメージを受けたような気もしなくもない。気ばかり焦る。


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日記: 20181108-1113_荒み

痔が悪化、座ることも動くこともできないくらいだったので肛門科に行く。経済的に厳しいが背に腹は変えられない。施術があるので1万円近く掛かってしまう。なんとかならないものか(体質らしいのでなんともならんそう)。

 

11月の半分があっという間に過ぎた。勉強のペースは目に見えて落ちている。つい怠けてしまう。代わりに映画をたくさん見ている。ハードコアヘンリー、チーム・バチスタ、ジェネラル・ルージュ、南国料理人、恋妻家宮本。活力がない時は邦画ばかり見てしまう。洋画やアニメは見る元気はない。他には無限の住人を読み返したりしている。

 

メリハリがなく泥沼のような停滞を感じる。

 

少し現実と向き合う時間を増やした方がいいと思われるので、しばらくネットを断ちたいと思う。

 

傷病手当金の紙を出しに渋谷の郵便局に来たら宮益坂に祭の出店が延びていて荒んだ気持ちになる。