日記: 20181211-1218_創作活動の向きについて
就活用のwebアプリケーション制作が進む。順調かどうかは少し微妙だが、進んでいるといえば進んでいる。応募先にどういうふうに共有すべきが迷う。githubがいいのだろうが、使い方を覚えるのが大変かもしれない。誰かに予め見てもらうことも考えなきゃいけない。
もうすぐ12月が終わる。1月になったら本格的に就活をするつもりなのだが、若干締切がきついように感じている。潮目が近づいてきて不安定になってしまう。とにかく手を動かして物事を前に進め、不安を払拭することが大事。不安に潰れたら俺は何もできない。
創作関連のことについて。コミケに向けて作品をサークルに提出。字数のことや締切のことで穏やかならぬ雰囲気がある。いずれにせよ自分の作品のボリュームを絞って、他の人の作品が上がってくるのを待つしかない。
自分が衝動的に書いたもの、書いていて気持ちがいいものをダラダラ書いた方がいいのか、テーマに則して理論的に内容を詰めたストイックなものを書いた方がいいのか、というずっと考えている問題について。
前者は書きながら「俺のこと分かってくれ」と自分語りしてるような気持ち悪さ。ネタが思いつかないとつい書いてしまうけど、本当は書きたくない。でも出来上がったものを見ると、それは完全に自分用にデザインされているので気持ちよくなれる。しかし他人の批評に耐えられるものではない気がしている。今回はどうしようもなく、この方向で書いてしまった。読んだ人間にもそれが伝わってしまうと思う。あまりに自意識が強すぎる。というわけで、あまり読まれたくない。でもこういうものを書いた方が喜ぶ人間が一定数いることを、自分は知っている。それが同人誌、という見方もある。
後者は全然やったこともない。なので、できる感じがしない。自分の中にそういう方法論がまだない。きっと身につけることはできる。だからやった方がいいのだろう。一次創作をやる人間は皆そういうところに向き合っているのだから。プロットを書いてみる、キャラクター造形をノートしてみる、ということからやった方がいい。自分には基礎がない。長編を書くときにこの基礎が身についてないと厳しい気がする。それに自分語りでは満足できないものをちゃんと得られるように思う。自己実現欲求的、という難しいやつだ。でもそうやって作ったものに自分のエゴを押し込むことができるのか分からない。やけに薄っぺらい話になったりしないだろうか。
結果的にどうするべきなのか。ということをここ二、三週間、あまりにBLが書けないのでずっと考えていた。
「こういうあるあるいいよね」を相手に提案したり、共有したりするものを書くべきなんだろう。そうすることで二つの方向性のバランスが取れると思う。自分中心か、相手中心か、という考え方ではなく、自分も相手も喜ぶもの。コミュニケーションがあるもの。そういうものが同人の土壌で求められているし、書いていて楽しいと思う。自分がどういう風にそのテーマを好きになったのかを追跡して、相手に同じ体験を与えられることがベストアンサーではないか。
ということで次回からやっていきたい。
具体的には、
(1)テーマから思い浮かぶ作品を書き出す。
(2)パクる。
という方法で実現できるはず。
パクったあと自分流にアレンジしたり、議論を前進させたり、ミックスさせたりできれば御の字だと思う。「パクる」と言うとアレだが、先行研究を参考にして新規性を求めるという、学問的な営みだと認識してやっていきたい。まねぶ、というやつ。
結局自分は大学に入ってからようやく人格ができたきらいがあるから、その一番理解できる方法論に立ち返るしかない、ということなのかもしれない。