smkw's diary - 名称未設定 のコピー 2

日記などその他雑感、眠れない夜の衝動的な書き物。

日記: 20181010_飯島ゆん

鬱がひどい。

俺はなんの専門家でもない。ということをぐるぐる考えてしまう。ので、こうして書かなければ気が狂いそうな感じがする。書いている間は落ち着く。

NEWGGAMEの飯島ゆんについてのブログを読んだのをきっかけにこんなふうに沈んでいるのだと言えば冗談みたいだけど、ぜんぜん冗談じゃない、自分自身の身に現在進行形で差し迫ってる問題だと、そんなふうに深刻に捉えてしまって、悪い時期に悪い物を読んだと思う。

 

リソースの配分。自分は動画をやったり小説を書いたりしてるけど、創作の手を広げ過ぎなのではないかという感じがもう何年かずっとしていて、どちらかに絞らなけらばいけないと感じつつ、両方やって両方とも半端な感じではある。最近はそこにプログラミングというのも加えなければいけなくなってきているし(これは生活の糧するためだけど)、なんだかAdobe関係のことはもはや重たい感じがする。これは仕事にできんような……。

 

映像関係で就職した当時は、映像を仕事にして技術を上げつつ、小説はライフワーク的にゆるゆるやったらいいかなという気持ちだったけど、映像の技術はたいして上がらず、一方でやりたくねー業務の経験値を積みながら消耗していって、仕事は楽しい時もあったけど、でも基本的には長時間労働の徒労感まみれ。おまけに低賃金で、成長感はなく、かといってゴリゴリのオンライン編集マンやモーションデザイナーになりたくなったかというと、それはそれでちがくねーかって思えてくる。でもそこを目指さないことには精神的に報われないからって、無理してるうちにメンタルがぶっ壊れてしまった。


もっと楽しいものだった気がするのだが。

 

AEは趣味、ということにした方がいいみたいだ。

 

趣味であるならば無理に続ける必要はない。嫌いになる前に仕事にしようとするのをやめた方がいい。経済的な理由でAdobe税が重たくなってきたので一旦休憩、ということでいいんじゃないかもう。

 

プログラミングの方も変にデザインに結びつけて考えるのをやめたい。純粋にコードを書く文字列人間になった方がいい。

 

自分はどちらかというと“仕事のめり込み型タイプ”だと思ったからこそ、仕事と趣味を一体化させようと思ったけど、いや逆だったんだな、趣味が仕事になると逃げ場がなくなって自分自身がバラバラになるような、そういうタイプだったのかもしれん。